情報やモノを探す時代から捨てる時代へ

インターネットが普及しだした頃は情報を探し求めていた。それまでも情報や知識を得ることに一生懸命になっていた時代がある。それは当然で情報や貴重な知識は探し求めないと得ることができなかったからだ。

本屋さんや図書館で調べたり、人づてに聞いたりしながら自分の求めている情報を探す。もっというなら自分が何を求めているのかも知る必要があった。知りたいことは何か?何を調べればいいのか?もわからない状態だった。

しかし今は情報に溢れている。良い情報も悪い情報も数多くあり、スマホやPCで気軽に手に入れられる。Googleの検索結果では一日で読みきれないほどの情報が表示される。上位表示されたコンテンツの2,3をつまんで画面を閉じるのが一般的だ。

全てのコンテンツを見ないことは取得しない選択肢をとっているのである。これ以上は似たようなコンテンツなので読んでも意味がないと取捨選択をしているのだ。要するに情報に対してお腹いっぱいなのである。

僕自身、情報を探し求めるくせがあるので今の時代だと限りなく得ることができる。何かを捨てない限り無限に更新される情報は増えていくのだ。

あれもこれもとブックマークばかり増えていくばかりで、何をしたいかの目的が希薄になってしまう。何かをするために仕入れている情報なのに、情報を取得することばかりば目的となっているのである。

コンテンツも飽和状態

コンテンツや物も同じように溢れかえっている。動画や本は今やタダ同然の金額で楽しめ、それが毎日消化しても追いつかないくらいに提供されている。豊富なコンテンツに恵まれてはいるものの、食べ放題のレストランのように一品一品のありがたみが薄れているのである。

これからは情報や物を捨てる時代に移行してく。捨てるとは見ないことを選ぶ意味でもある。あれもこれも欲しい時代からどれもこれもいらないよね時代に変わっていくのだ。

無限にあるモノから何かを得るのと同時に、捨てることを選択しなければならない。これは情報飽和時代の新たなスキルになり得る。情報を取得する技術から、情報からシャットダウンする技術への移行が必要となる。

欲しい時代からいらない時代へ

常に何かに飢えている時代から、「いらない」が欲求となってくる気がする。欲しくて欲しくてたまらないと思う人もいれば、もうこれ以上与えないでくれと思う人も出てくる。そんな時代の変わり目を感じている。

世の中のものは今でも何かを与えようとしてくる。モノを与えることによって経済が回っているので仕方ないことである。

最近では体験型サービスが好調という。それは現代人が「もうモノはいらないよ」といっているのかもしれない。表面的に意識していなくても自然とモノから遠ざかっているのではないだろうか。

私もモノを捨てていきスリムな生活をするべきであると感じている。捨てることを意識しだしてから生活が落ち着いてきた気がする。ミニマリストほどまではいかないが、身の丈にあったモノしか得ないようにしたい。まぁなんとも経済に不都合な話であろうか。

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